2014年6月30日月曜日

コーヒー豆の真の姿とは・・・

コーヒー豆の真の姿

これがまさに本物のコーヒーです!!













(注意)今日の仕事終わりに頂いた、本場山形のさくらんぼです(笑)


~1杯のコーヒーができるまでcU~

熱帯地域のコーヒー農園



熱帯植物であるコーヒーノキは、
赤道をはさむコーヒーベルトと呼ばれる地帯で栽培されています。







       

アフリカが原産のコーヒーノキ




低木の常緑樹で、1年に一度ジャスミンのような
香りの白い花を咲かせます。






















       ⇓


花が咲いた後に実を結ぶ




花が咲いたあとに実(コーヒーチェリー)がなり、
赤く色づいたら収穫です。












黄色に熟する品種もあります。










       ⇓

コーヒーチェリーから取り出した種子




果肉を取り除いて、コーヒーの生豆(なままめ)
となる種子を取り出します。









       ⇓

さまざまな生産処理をほどこす




種子は精製、乾燥、選別などの工程を経て生豆となります。









       ⇓


焙煎して粉の状態にする




生豆は焙煎することによって
はじめて「コーヒー」らしい色や香りになります。
焙煎した生豆を粉砕して抽出します。













       ⇓


コーヒーの出来上がりです♪















そもそもコーヒーって何?


僕たちが「コーヒー豆」と呼んでいるのは、
実際には「豆」ではなくて、
コーヒーノキという植物の果実の「種子」なんです。

コーヒーノキはアカネ科コフィア属の熱帯植物で、
アフリカが原産です。

コーヒーノキの実はコーヒーチェリーとも呼ばれ、
その名のとおり、熟すにつれて緑色から赤色に色づいていきます。

完熟した果肉は甘くて、現地では収穫を手伝う子供たちが
口に放り込むこともあります。



~コーヒーの果実と種子~













コーヒー豆の果実の大きさは品種や産地によって異なりますが、
およそ1.5~2cm程度です。

完熟の果実はやわらかく、
甘みがあるのでそのまま食べることもできます。

果肉を取り除くと、シルバースキンとパーチメントという
薄い皮に覆われた種子が出てきます。
















(左)フラットビーンズ     (右)ピーベリー


ほとんどの種子は、2つが向かい合うように入っていて、
2つが接する面が平らなことから「フラットビーンズ(平豆)」と呼ばれています。

まれに種子が1つしか入っていないものがあり、
形が丸いことから「ピーベリー(丸豆)」と呼ばれています。

ピーベリーは全体の10%程度しか採れず、
希少であることから高い価格で取引されます。

 安くて高品質なピーベリーを試したい方はコチラをご覧ください(^^)/


Let's enjoy coffee life♪

6月30日の1杯と1禅語『浄裸裸赤灑灑』

6月30日の1杯と1禅語『浄裸裸赤灑灑』

~1杯のコーヒーを飲みながら、心が和む言葉をお楽しみください~


今日の1杯フォトcU














おはようございます(^^)/

今日で6月も終わりですね!!
さすがの北海道も暑くなってきました、
そろそろアイスコーヒーを作り始めたいですね♪

今日の1禅語cU

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『浄裸裸赤灑灑』

~じょうらら しゃくしゃしゃ~


きれいさっぱり、洗い流したように何もない、の意。


禅では「放下」ということを説く。

心にゴチャゴチャと持っているものをすべて放り出して、
手放してしまえ、ということだ。

そうすれば、清々として本来の心のままに生きられる、と説く。

しかし、そんな境地に到るのは大変難しい。
どうしても、私たちには「大切なもの」がある。

愛着し、執着し、不足を感じたり喪失したりすると、
嘆き続けてしまう。
心にかたく握りしめて手放さない。

心理学者のフロムは、
人は自他を「いかにたくさん持っているか(have)」で評価しようとするが、
本当に重要なのは「どうあるか(be)」なのだ、と言った。

才能や美貌、肩書きや財産、愛や賞賛など、
人は自分が持っているもので自分を量り、充足しようとする。

自分よりそれらをたくさん持っている人を見て羨み、
自分は不足しているといって苦しむ。

でも、大切なのは、
そんな「持っているもの」をすべて捨てたときに、
剥身の人間としてどうあるか、ということなのだろう。

この「浄裸裸赤灑灑」という言葉は、
その様をあかあかと表現している。

すべて余計なものを洗い流してしまったとき、そこにあるもの。

誰かと接するときは常にそれに触れたいと願うし、
自分もまた、その姿でこの世と関われるのでなければ、
生きていることはいかにも空疎だ。


(『禅語 zengo』本文より一部抜粋)
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今日の独り言cU


僕もよく、自分の至らなさに苦しむことがあります。
それは理想としている自分とのギャップに苦しめられているだけ。

コーヒーを飲んでいるときは、
そんな苦しみから解放されているような気がします。

何も考えず、ただコーヒーを楽しむ。
それはたぶん、幸せな時間なんでしょうね。

そして常にそうありたいと思うのです。

Let's enjoy coffee life♪

2014年6月29日日曜日

6月29日の1杯と1禅語『日面仏 月面仏』

6月29日の1杯と1禅語『日面仏 月面仏』

~1杯のコーヒーを飲みながら、心が和む言葉をお楽しみください~


今日の1杯フォトcU














おはようございます(^^)/

今日は禅語シリーズでお世話になっている
石井ゆかりさんの「禅語 zengo」との1杯♪


今日の1禅語cU

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『日面仏 月面仏』

~にちめんぶつ がちめんべつ~


唐代の禅僧、馬祖大師が臨終の床についたとき、
寺の院主が見舞いに来て「お加減はいかがですか」と尋ねると、
大師は「日面仏、月面仏」と応えた。

日面仏は寿命1800歳、月面仏は一昼夜とされる。


馬祖大師は79歳で亡くなったとされ、
当時としてはかなり長寿の人だ。

そのように長寿でありながら、
今、臨終の床でわずかな残り時間を終えようとしている。

大師が横たわっている床に、
まさに、日面仏と月面仏の両方がいる。

長い人生があって、短い人生がある。

しかし、私たちは自分がいつ死ぬか知らない。
明日死ぬかもしれない。

昨日はもう過ぎ去ってしまって、取り戻すことができない。

とするなら、私たちは、
月面仏の一日をくり返しながら、日面仏の生を生きている、
と言えなくはないだろうか。

月面仏と日面仏が自らの寿命を知っているかどうかはわからない。

だが、それが「仏」であるならば、
おそらく、いずれの仏様も同じように、
生き生きとして充実した一日を過ごすのではないだろうか。

若くして亡くなった子供の短すぎる人生を
悲しみ続けるたくさんの親御さんがいる。

その深い悲しみは、慰めようもない。

だが、「日面仏、月面仏」の言葉は、
生きている時間の意味をそっとささやく。

たとえ短すぎる人生だったとしても、
その子は日々、自らの月面仏の生をめいっぱい生きていたのだ、と。


(『禅語 zengo』本文より一部抜粋)
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今日の独り言cU


毎日のコーヒーもまた月面仏の1杯として
ゆっくりと感謝を込めて味わいたいものです♪

Let's enjoy coffee life♪

2014年6月28日土曜日

6月28日の1杯と1禅語『入火真金色転鮮』

6月28日の1杯と1禅語『入火真金色転鮮』

~1杯のコーヒーを飲みながら、心が和む言葉をお楽しみください~



今日の1杯フォトcU














おはようございます(^^)/

今日はシンプルな1ショット♪
激しい週末のはじまりに心を和ませる1杯です。

今日の1禅語cU

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『入火真金色転鮮』

~ひにいってしんきんいろうたたあざやかなり~


真金は、火に入ると一層色があざやかに輝く。
それと同様、真の悟りを得た人は、
難に遭っても苦しむことなく、一層徳が輝く。


いつも通りに問題なく事が運んでいるときは、
楽に自分の良いところを出せる。

しかし、いざトラブルが発生すると、
とたんに弱点が現れてしまうことがある。

自分の失敗を人になすりつけたり、
強そうな相手を避けたりする。

普段は見えない弱さが露呈する。

いつもは優しくて思いやりがあるひとなのに、
自分だけが助かろうとして、人を押しのけたりしてしまう。

「タイタニック」など、突然の大きな災難を描いた映画が
ヒットするのは、難事にあったとき、
人々の真の強さや美しさ、弱さや醜さがむきだしになるからなのだろう。

その姿の真実さが、見る人の心を動かすのだろう。

物事がうまくいっているときに頑張ろうと思ったり、
希望を抱いたりするのは簡単なのだ。

うまくいかないときに頑張ること、
苦しいときに希望を抱くことが、本当の力だ。

うまくいっているときは、楽に、人に優しくできる。

でも、自分がうまくいっていないとき、
なおも他者に優しくできる人は、なかなかいない。

自分の傷が痛むとき、
その痛みをこらえて相手の痛みを想像する力が、
本当の強さなんだろうと思う。


(『禅語 zengo』本文より一部抜粋)
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今日の独り言cU


仕事をしているとき、あまりにも忙し過ぎて
いっぱい、いっぱいになってしまうことがあります。

こういう時には、つい言葉がきつくなったり、
イライラしてしまったりするものですよね。

仲間からあつい信頼を得ている人は、
ピンチの時ほど冷静で、時にはジョークをかまして
その場を和ませてくれます。

僕の師であるオーナーは、まさにそんな方です。

師に近づくためにも、少しずつ強くなっていかなければなりませんね!!


Let's enjoy coffee life♪

2014年6月27日金曜日

6月27日の1杯と1禅語『家無滞貨不富』

6月27日の1杯と1禅語『家無滞貨不富』

~1杯のコーヒーを飲みながら、心が和む言葉をお楽しみください~



今日の1杯フォトcU















おはようございます(^^)/

頭がすっきりしている朝にコーヒーを飲みながら記事を書く。
結構、良いものが書ける気がします♪


今日の1禅語cU

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『家無滞貨不富』
~いえにたいかなくんばとみならず~

売りにくい品物が家にたくさん売れ残っているのでなければ、
本当の大商人とは言えない。


効率よく、無駄を省いて、と、
家でも学校でも職場でも、誰もが考えている。

遊びや休息にまで、この考えが持ち込まれているようだ。

でも、そうして節約したものは、
いったいどこにたまって、どんなふうに使われているのだろう、
と考えると、何だかだまされたような気がしてくる。

無駄なものがたくさんあってこそ富んでいるといえるのだ、
というこの言葉に、私のような生業の人間は、強いリアリティを感じる。

漫画を読むとか散歩をするとか、飲み過ぎて一日中寝ているとか、
そんなひどく無駄に思える時間の中から、
不意に、文章のアイデアが浮かんだりするからだ。

どんなに努力して探しても見つからないものが、
天から落ちてくる瞬間があるからだ。

この「天」がすなわち、
混沌とした、ムダの集積の正体だという気がする。

家庭を除菌・減菌しつくした果てに、
アトピー皮膚炎やアレルギーに苦しむ子供が増えたと言われている。

かつて私の祖母などは、
少々のカビや虫食いなどは「薬になる」といって、
適当に削っただけで食べてしまっていた。

ノイズ、ムダ、冗長性。

これらを排除しつくしたところにある世界を想像すると、
うそ寒いような恐怖を感じる。

「意味のある時間」と「意味のない時間」を分けることで狂ってしまう時計を、
私たちは体の中に、内臓しているのではないかという気がする。


(『禅語 zengo』本文より一部抜粋)
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今日の独り言cU


嗜好品といわれるコーヒーを飲むことは
ムダな時間と捉えることもできますが、

そんな、特に意味なのない時間を楽しむことが
実はごく自然なことのような気がしてきます。


Let's enjoy coffee life♪

2014年6月26日木曜日

6月26日の1杯と1禅語『喫茶去』

6月26日の1杯と1禅語『喫茶去』

~1杯のコーヒーを飲みながら、心が和む言葉をお楽しみください~


今日の1杯フォトcU















今日はロールケーキとカフェオレです(^^)♪

どちらかが欠けても得ることができない

特別な美味しさがここにあります。

今日の1禅語cU

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『喫茶去』

~きっさこ~

趙州和尚は、新参の僧が来るといつも
「ここに来たことはあるか」と問う。

これに、「はい、あります」「いいえ、はじめてです」
のいずれの応えに対しても、趙州は「喫茶去」とだけ言った。

あるとき、それを聞いていた寺の院主が
「和尚はなぜ、どちらの答えにも同じく『喫茶去』としか
おっしゃらないのですか」と尋ねると、趙州は院主に「喫茶去」と応えた。


この言葉は、
日本では「まぁ、お茶でも飲んでいらっしゃい」と訳されることが多い。

しかし、これは本当は
「喫茶しに行け」「茶を飲みに行け」という強い命令語であるらしい。

座禅はひとりでする修行だが、
茶を飲むことは、二人以上でする修行だ。

私たちは日々、少しずつ変化し続けている生き物で、
今この瞬間の「自分」と同じ自分には、もう二度と会えない。

ある人とある人がある瞬間に「会う」ということは、
もう二度とくり返されない、たった一度だけの機縁なのだ。

そんな特別な時空で、
ただ一度だけでもできる修行が「喫茶」なのだとすれば、
これほど緊張に満ちた、抜き差しならない「行」があるだろうか。

誰かと出会うときはいつも、
自分でも気づかなかった自分の一部を引っ張り出されてしまう。

未熟さや弱さに気づかされたり、
時には、長所を見つけたりもする。

自分のことが本当にわかるのは、「誰か」がそこにいるときだ。

「誰か」に出会っているその瞬間、
時別な光が自分を照らし出しているように思える。


(『禅語 zengo』本文より一部抜粋)
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今日の独り言cU


ひとりで飲むコーヒーとふたりで飲むコーヒーは
どこか違った味がするような気がします。

「喫茶去」の教えのように、
二度とは来ないその時を、その味を、しみじみ楽しむのも乙ですね♪


Let's enjoy coffee life♪

2014年6月25日水曜日

6月25日の1杯と1禅語『無巧徳』

6月25日の1杯と1禅語『無巧徳』

~1杯のコーヒーを飲みながら、心が和む言葉をお楽しみください~


今日の1杯フォトcU





















こんばんは(^^)/
スペシャルティを調子に乗って毎日飲んでいましたが、
とうとう切らしてしまいました(´・ω・`)トホホ

しばらく、世界のネスレさんで勘弁してください!!
普通に美味いですけどね|ω・`)♪

今日の1禅語cU

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『無巧徳』

~むくどく~


梁の武帝は信心の篤い人で、多くの仏寺を建て、出家僧を増やした。

帝は、大聖達磨に「たくさんの供養をした私には
どれほどの功徳があるでしょうか」と尋ねた。

達磨はこれに対し、「功徳などない」と応えた。


「それをやったら何の得になるの?」ごく日常的な問いかけだ。

私たちは、報酬や成績を目標にする。

「それをやったら何か自分にとってうれしいことがある」
「それをすることで何かを手に入れることができる」と思えば、
私たちは納得して取り組む。

善行を積めば功徳がある、
つまり、天国へ行けたり、災難を避けることができたりする、
と、私たちは直観的に信じている。

うれしいことが未来にある、
だから、現在楽しくなくてもがまんする。

そういう理屈だ。

その一方で、人間は、遊ぶ。

たとえば、多くの人が、スポーツを楽しむ。
プロの選手以外は、何かほかのことを目的にしてやっているわけではない。

走っていること自体が楽しい、
ボールを蹴ってゲームをすること自体が楽しいのだ。

だから必死になってやるし、
上手くなるために少々の苦労を好んで引き受ける。

遊びの世界は、行為と同時に、報酬がある。

未来に何かいいことがあるのではなく、
今この瞬間が「いいこと」なのだ。

見返りを求めて何かをして時間は、
未来に喜びがあるけれど、現在には苦痛しかない。

そうではなく、
遊びのように「今この瞬間が楽しい」と感じられれば、
未来と引き替えに現在を犠牲にしたりしなくて済む。

苦労と報酬が、同じひとつの時間の中にぎゅっと詰まっている。

もしそういうふうに過ごせていたら、
「これだけ供養をした私にはどんな功徳があるでしょう」
なんて、聞きたくなったりしない。


(『禅語 zengo』本文より一部抜粋)
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今日の独り言cU


遊ぶように働いて暮らしていくことは
誰もが望んでいることではないでしょうか。

僕もその状態を目指していますし、近づきつつありますね(^^)♪

修行しているお店で働いているときには
忙しいときほど、ゲーム感覚で楽しんでいる自分がいたりします。

朝、コーヒーを淹れる時も、
ちょっと手間だし面倒だなぁなんて最初は思っていますが、
淹れている瞬間は無心で楽しんでいたりします。

そして、手間をかけたコーヒーを飲む幸せを感じているんですね(^^)

Let's enjoy coffee life♪

2014年6月24日火曜日

6月24日の1杯と1禅語『山是山 水是水』

6月24日の1杯と1禅語『山是山 水是水』

~1杯のコーヒーを飲みながら、心が和む言葉をお楽しみください~


今日の1杯フォトcU



こんにちは(^^)/
今日は遅めの朝のコーヒータイムでした。

明るい窓際で手挽きミルと2ショット。
ちょっぴり贅沢な休日のコーヒータイムです♪


今日の1禅語cU

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『山是山 水是水』

~やまはこれやま みずはこれみず~


圓悟禅師が雲門禅師の言を引いていわく、
「みな、妄想してはならない。山はこれ山、水はこれ水。
僧はこれ僧、俗はこれ俗。」


虹は七色、言われるけれど、
実際にその画像を見ると、どこが境目かは判然としない。

五色にしか見えないこともあるし、
文化や国によっては三色にしか分けられない場合もあるらしい。

悪と善の境目をじっと見ていると、
どこが境界線かわからなくなってくる。

犯罪事件の詳しい経緯をたどってみると、
途中までは犯人のほうが被害者の立場であったりする。

朝と夜の境目、季節の境目も、
「ここが境界線」とハッキリ断じることが難しい。

私たちはしばしば、自分と他人を比べて優劣を問う。
これは、お互いの差分を見つけ出して区別しようとする、
いわば「境界線を引こうとする」やり方だ。

そこには、優劣感や劣等感は生まれても、
「自分は何ものか」という問いへの答えはみつからない。

この言葉は、見つめれば見つめるほど見えなくなる
境界線について、ぴしりと「山は山で、水は水だ」と言い切る。

「妄想するな」と言い切る。

人と人、物と物とを比較した「差」によって引かれる境界線は、
人間の妄想でしかない、というのだ。

物事の本質は境界線によって決定されるのではなく、
そのものの中心にある何事かによって決定されている。

山は自ずから山で、水は自ずから水なのだ。


(『禅語 zengo』本文より一部抜粋)
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今日の独り言cU


珈琲は珈琲で、紅茶は紅茶。
どっちが美味しいとか、どっち派?とかは
本質的には無いですよね(笑)

珈琲には珈琲の美味しさがあるし、紅茶には紅茶の美味しさがあります♪

今日はただ珈琲である珈琲を飲みながらシンプルで清々しい気分になれそうです。

Let's enjoy coffee life♪

2014年6月23日月曜日

6月23日の1杯と1禅語『雲去山嶺露』

6月23日の1杯と1禅語『雲去山嶺露』

~1杯のコーヒーを飲みながら、心が和む言葉をお楽しみください~


今日の1杯フォトcU














おはようございます(^^)/
今日はいつもの食パンが可愛らしい子分を連れてきました!!

ちょっぴり愉快な朝食です(*´∇`*)♪

今日の1禅語cU

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『雲去山嶺露』

~くもさってさんれいあらわる~


厚い雲が風に乗って去ると、雄大な山嶺が堂々とそこに現れる。
覆い隠しているものがあったとしても、
本来誰もが持っている仏性(ぶっしょう)はそこにあって、変わらない。


仏教では、誰もが生まれながらに仏性を持っている、とされる。
仏性とは、仏の本質であり、これによって立つとき、
人は苦しみから解放され、仏のように他者を救う存在になれる。

だが、人間は煩悩というものに支配されていて、
なかなか仏のように生きることができない。

貪欲や愛欲に苦しみ、老いて死ぬことが受け入れられず苦しみ、
自分の中から生まれる苦しみに苛まれ続けて生きている。

「傷ついた」という言い方がある。
「誇りを傷つける」「心が傷つく」「裏切られて傷つき、誰も信じられなくなった」
などのような言い方をする。

でも、本当にそんなふうに人を
「傷つける」ことができるのだろうか。

傷というのは、そのものの本来の形を変える、ということだ。
軽い傷は消えるが、消えない傷痕もある。

本来完全であった形を不完全なものに変え、
二度ともとに戻せなくするのが「傷」だ。

私たちが「傷」と呼ぶものの正体は、
山嶺を隠す雲のようなものではないか、
と私はしばしば、考える。

雲が山嶺を傷つけることが出来ないように、
悲しみや苦しみもまた、人の心や誇りを、
本当の意味で傷つけることはできないのではないだろうか。

悲しんでも、苦しんでも、
人の心の中にあるものはどっしりと大きく、ゆるぎない。

誰もが自分の中に、山のように動かし難いものを持っている。

雲に隠されているときでも、山は確かにそこにあるのだ。

(『禅語 zengo』本文より一部抜粋)
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今日の独り言cU


コーヒーにも、その種独自の揺ぎ無い個性や特徴があります。

ただ、コーヒーも人と同じように繊細で、
管理方法や焙煎の仕方、挽き方、淹れ方によって
本来持っている素晴らしい個性や特徴が生かされたり殺されたりします。

まずいコーヒーであったとしても、
それにはまずい雲(間違った管理方法や焙煎の仕方、挽き方、淹れ方)が
かかっていて本来もっている美味しさが見えなくなっているだけなんです。

コーヒー豆のためにも、正しい扱い方を心得ておきたいですね。


Let's enjoy coffee life♪

2014年6月22日日曜日

6月22日の1杯と1禅語『知足』

6月22日の1杯と1禅語『知足』

~1杯のコーヒーを飲みながら、心が和む言葉をお楽しみください~



今日の1杯フォトcU





















おはようございます(^^)/
今日は久々の晴れの朝♪

いつもの1杯が晴れやかに感じられます٩(ˊᗜˋ*)و
みなさん良い休日を♪


今日の1禅語cU

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『知足』

~ちそく~


足るを知る。
満足することを知る、の意。


私たちは誰もが欲を持っている。
生きていくために欲求が働く。

食欲や睡眠欲がなければ死んでしまう。
性欲がなければ人間自体が存続していない。

人と繋がりあっていたいという欲求で
社会をつくって自らの力を強め、自然の猛威に立ち向かう。

生命力の輝きは、欲求から生まれている。

欲はあって当然で、それがなければ
人間は生命力の輝きを失って枯れてしまう。

でも、どこまで手にいれればその欲がおさまるのか、
を知っていなければ、器以上のものを注ぎ込んで破綻してしまう。

たとえば、満腹感は本来、体の中に自然にあるものさしだ。
でも、このものさしは、たいへん壊れやすい。

ストレスやアルコールなどで、
人は「お腹いっぱい」がどういうことなのか、
感じられなくなってしまう。

あげく、どんどん食べて、
不幸を感じるほどに太ることがある。

私たちは、他人と自分を比較して、
お金や美貌や才知や肩書きや愛情、その他あらゆるものが、
「足りない」と言い続けるとき、体の中のものさしは無視される。

満足、という感覚が身体の中から消え去る。

望んだものをどんなに手に入れても、その感覚はよみがえらない。
よみがえらないために、さらに不安を感じて嘆く。

「これでいっぱい、満足」という臨界点の感覚は、
欲求とセットになって私たちを生かそうとする。

だが、この臨界点はとても簡単に見失われてしまうのだ。


(『禅語 zengo』本文より一部抜粋)
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今日の独り言cU


コーヒーも飲み過ぎには注意したいものです。
1日多くても3杯くらいが身体にいいそうですよ。

僕は甘いものへの知足が完全に失われていますね・・・。
耳が痛いです。

心身の健康や平穏を保つためにも、
知足という言葉を心に留めておきたいですね。

合言葉は「ちょっと足りないかなぁ・・が、ちょうどいい!!」

Let's enjoy coffee life♪

2014年6月21日土曜日

6月21日の1杯と1禅語『無不是薬者』

6月21日の1杯と1禅語『無不是薬者』

~1杯のコーヒーを飲みながら、心が和む言葉をお楽しみください~


今日の1杯フォトcU














おはようございます(^^)/
コーヒーと味噌汁と食パンという異文化コミュニケーション!!

でも、ありです♪


今日の1禅語cU

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『無不是薬者』

~くすりならざるものなし~


世の中に、薬にならないようなものは
ひとつもない。

「毒にも薬にもならない」という言い方がある。
あたりさわりのない、これといって特徴のない人をそう言ったりする。

毒は悪いものだけれど、毒があればあったで、
それは何かつかいようがある、ということなのだろう。

「薬」と呼ばれるものにも毒のようなものはたくさんある。
虫を殺す農薬はその典型だ。

いいものと悪いもの。

私たちは無意識にそれを分ける。
この人はいい人で、この人は良くない人だ、と分ける。

自分に対してもそうで、
優れた人と自分を比べては、「私にはこんな欠点がある」と嘆いたりする。

でも、物事も人も、みんな「何かの薬なのだ」と考えてみると、
ちょっとおもしろい。

自分が何かの薬になるとしたら、
それはどんな作用を持つ薬なのだろう。

毒や薬になるという部分というのは、
ある種の過剰なバランスの悪い部分だ。

デコボコした部分だ。

誰もが、「自分はこういうところが過剰だ」とか
「こういうところが足りない」とか思っている。

でもそれは、たぶん、
コンセントのプラグとソケットみたいなもので、
出っ張りや凹みが即「悪い」ということではないだろう。

それどころか、そんな過剰さや欠落がなければ、
それこそ「毒にも薬にもならない」のだろう。

出っ張りや凹みは、それがあるというところに意味がある。

誰もが、誰かの薬として、偏った特徴を持って生きている。

(『禅語 zengo』本文より一部抜粋)
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今日の独り言cU


今では嗜好品として扱われているコーヒーが
その昔「薬」として飲まれてきたように、

僕たちにも何らかの特徴や効用が必ずあって、
その時々、その場面場面、受け取る人それぞれ、で効果が変わるんでしょうね♪

誰にでも効くものではなくて、
必要とされている人、相性が合う人に絶大な効果をもたらすんだと思います。

あなたはあなたでいい。
あなたがあなたであるからこそ、助かる人が必ずどこかにいるはずです。

Let's enjoy coffee life♪

2014年6月20日金曜日

6月20日の1杯と1禅語『色即是空 空即是色』

6月20日の1杯と1禅語『色即是空 空即是色』

~1杯のコーヒーを飲みながら、心が和む言葉をお楽しみください~



おはようございます(^^)/
今日は最近雨続きなので、青空の写真を眺めながら1杯♪
不思議と落ち着きます。

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『色即是空 空即是色』
~しきそくぜくう くうそくぜしき~

「色」は、物質や物理現象のこと。
私たちが五感を通して感知できるすべてのものを指す。

「空」は「無い」のではなく、
時間軸の中で生起しては消滅する関係性、という意味。

すべてのものは、実体・存在ではなく、関係・現象である、の意。


もともとは単細胞生物であった「細胞」が、寄り添って関わりあった結果、
私たちように大きなひとまとまりの生き物ができあがっている。

私たちは自分を「ひとつの個体」と感じているけれど、
実際はこれは、単細胞同士のふわりとしたネットワークであり、
ある関係性の一時的な集積に過ぎないのだ。

「空」という概念はしばしば「何もない」というふうに訳されているけれど、
そうではない。

「色」、すなわち五感で感得できる世界というものは、
どうしようもなく「ある」のだ。

ただ、それらは、私たちが感じているほど、分割可能な実体ではない、ということなのだ。

すべてが変容し続け、動き続けている。

固いコップも、原子核とそのまわりをくるくる回る電子が結合してできている。

水は流れ、花は咲いては枯れ、
時間軸の中ですべては、絶え間なく流動し続けている。

「かたちあるもの」という言い方があるが、
私たちに「かたち」として見えているものは
一瞬の偶然の中に成り立ったあるつながりの結果でしかない。

そしてそのつながりは
いつか解消されて、またべつのつながりに向かって流れゆく。

そのような、すべてが動き続け流れ続けていく、という世界を、
私たちはなかなか受け止められない。

変化や喪失をどうにか避けたい、
「かたち」を留めたいと願い、苦しむ。

禅が目指しているのは、
「かたち」の世界から「動き」の世界に移動することなのだろうと思う。

そうすれば、苦しみは終わるからだ。

(『禅語 zengo』本文より一部抜粋)
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目の前にある1杯のコーヒーも、
その瞬間にしか味わえないものであり、味わっている時間もまた常に流れゆくもの。
その流れに身を任せることが至福の珈琲時間であり、禅の珈琲と言えるかもしれませんね。

と悟ってみました(^^)/

Let's enjoy coffee life♪

2014年6月19日木曜日

6月19日の1杯と1禅語『看脚下』

6月19日の1杯と1禅語『看脚下』

~1杯のコーヒーを飲みながら、心が和む言葉をお楽しみください~



こんばんは(^^)/
今日は禅語『看脚下』足元を見よ、に因んで
白クマが足元のお客さんを覗きこんでいる場面と1杯♪

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『看脚下』
~かんきゃっか~

足元を見よ、の意。
足元とは、じぶんの日常生活やもっとも身近なもののこと。

自分の現状には、とかく、気づきにくい。

具合が悪くても病気にかかっていることに気づかなかったり、
ストレスを溜めていることがわからずに毛が抜けたり鬱になったりする。

家族のことや仕事のこと、タテマエや体裁など、
自分の外側のことばかり気にしているうち、
「自分」が自分の生活から消え、どこに立っているのか
わからなくなってしまうのだ。

あの人がこれをしてくれれば、彼さえ変わってくれれば、
と、私たちはしばしば、外側に期待をかける。

でも、そんなとき、
本当の問題の所在は、自分の中にあったりする。

(『禅語 zengo』本文より一部抜粋)
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身が引き締まる一言ですね。
自分自身のことを本当に見つめることって
案外できなかったりします。

コーヒーを飲みながら、ゆったりと真摯に自分と向き合ってみるのも悪くないです。

Let's enjoy coffee life♪

2014年6月18日水曜日

6月18日 1杯と1禅語『相逢不相識 共語不知名』

6月18日 1杯と1禅語『相逢不相識 共語不知名』

~1杯のコーヒーを飲みながら、心が和む言葉をお楽しみください~



こんばんは♪
今日の1杯はお気入りの赤ipodと2ショット!!
これから同期します(笑)

〇●お知らせ●〇
「今日は何の日の1杯」シリーズを終了し、
新しく「今日の1杯と1禅語」をお届けします(^^)/

お気入りの本『禅語 zengo』の言葉とコーヒーのマリアージュcU♡
コーヒーを飲みながら、しみじみと楽しんでもらえると嬉しいです♪

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『相逢不相識 共語不知名』
~あいおうてあいしらず ともにかたりてなをしらず~

お互いのことを何も知らないまま出会い、
肩書や名前を知らないままで語り合う。

お互いのことを何も知らず、名前も知らないまま話し込む。
バーや居酒屋などではそういうことがしばしば起こる。

そこで語られることには、
損得や利害関係、立場性などは一切入り込まない。

では、何のために語るのか。

何のためでもない対話。
これほど心弾む対話はない、と私も思う。

(『禅語 zengo』本文より一部抜粋)
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僕もこの話には共感しますね。

先月行った函館旅行。
温泉の脱衣所で見知らぬおじいちゃんと
おすすめ桜スポットの会話で盛り上がった記憶が蘇りました。

こういう何気ない会話に幸せを感じたのを覚えています。

Let's enjoy coffee life♪

2014年6月17日火曜日

コーヒーに人生を捧げる男 コーヒーハンター川島良彰氏

コーヒーに人生を捧げる男 コーヒーハンター川島良彰氏



(出典:http://www.mi-cafeto.com/josekawashima/)


コーヒー好きなら知っておかなければなりません。
コーヒーの血が流れる彼を。

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コーヒー焙煎卸売業の家で育ち、コーヒーの麻袋がつまれた倉庫が
子供の頃の遊び場であり、一番のお気に入りの場所。

自然とコーヒー屋になることを夢に見て、
コーヒーについて現地で学びたいという想いから
中米への憧れを子供時代からずぅーっと胸に抱いていました。

高校時代、その想いに引き寄せられるように
中米、エルサルバドルへの留学のチャンスが舞い降りてきて、即決。

そして高校の卒業式前には、エルサルバドルの地に
若干18歳、ひとりの日本人の男の子が期待と不安を胸に降り立ったのです。

エルサルバドルの大学に通いつつも、
彼の目的は大学のつまらない勉強ではなく、コーヒーの勉強!!

世界トップレベルの国立コーヒー研究所に何度もお願いをして
入所することに成功したのです。

その後、エルサルバドル内での内戦が勃発しますが、
毎日爆撃音を聞きながら、研究を続けます。

あまりの情勢悪化に一時、やむなくロサンゼルスへ疎開。
生活をしていくため、コーヒーとは関係のない仕事をいくつも掛け持ち
休みなしで働き続けてました。

そんな時、UCC上嶋珈琲株式会社の創業者、上嶋忠雄氏の目にかかり
25歳にしてジャマイカの農園開発のプロジェクトリーダーに就任することに!!

その後、ハワイやインドネシアで農園開発に携わります。

また、マダガスカル島で絶滅危惧種マスカロコフェアの保全保護に携わり、
レユニオン島で絶滅したとされていた幻のコーヒー「ブルボン・ポワントゥ」の
発見と再生で島のコーヒー産業を復活させました。

51歳で上嶋珈琲を退職し、
子供の頃から夢見ていたコーヒー屋をやるべく
株式会社ミカフィートを設立し、厳選されたコーヒーのみを扱う
コーヒー屋をつくることができたのです。

「全てはコーヒーのために」

本当に美味しいコーヒーを知ってもらうため、
コーヒーの価値を高めて、生産者の生活向上や産業としての発展を促進させるため、
コーヒーハンターは今も世界中を飛び回っています。
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▼▽もっと川島さんについて知りたい方はコチラ▽▼

【コーヒーハンター川島良彰氏の書籍】

私はコーヒーで世界を変えることにした。









【本書紹介の講演ムービー】




コーヒーハンター



【コーヒーハンター 川島良彰氏Webページ】


株式会社ミ・カフィート公式ホームページ

 -ミ・カフィートFacebook
 -ミ・カフィートTwitter

コーヒーハンター 川島良彰氏 Facebook

コーヒーハンター 川島良彰氏 Twitter

6月17日「砂漠化および干ばつと闘う国際デー」の1杯

6月17日「砂漠化および干ばつと闘う国際デー」の1杯






今日のコーヒーはザックと一緒に(^^)cU
ザックを背負ってニジマス釣りにいってきました>゜)))彡
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今日は「砂漠化および干ばつと闘う国際デー」です♪

1995年の国連総会で制定されました。
1994(平成6)年のこの日、「国連砂漠化防止条約」が採択されたんですね。
砂漠化と旱魃の影響と闘うための国際協力の必要性、
および、砂漠化防止条約の実施に対する認識を高める日です。

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砂漠とはかけ離れた、深い森と川にてサバイバルのような釣り(^^)!!
釣果はニジマス3匹>゜)))彡>゜)))彡>゜)))彡




















(写真:旭岳麓の忠別川にて)

Let's enjoy coffee life♪

2014年6月16日月曜日

6月16日「無重力の日」の1杯

6月16日「無重力の日」の1杯





今日のコーヒーはカフェオレ(^^)cU
いつもミルクは多めです♪

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今日は「無重力の日」です♪

地下無重力実験センターが町内にあった
北海道上砂川町が1991年3月に制定しました。

六(む)十(じゅう)六(ろく)で「むじゅうりょく」の語呂合せ!!

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痛快な語呂合わせですね(笑)
無重力というものを一度は体験してみたいものです(^^)

Let's enjoy coffee life♪

2014年6月15日日曜日

6月15日「父の日」の1杯

6月15日「父の日」の1杯





今日のコーヒーはエルサルバドルをペーパードリップ(^^)cU
不思議と絵になる、珈琲アイテム。

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今日は「父の日」です♪

いつも、ユニクロのアイテムをテーマ付けして贈っていましたが、
今年は最近ハマってるという梅酒を贈りました♪

まだ贈りものの用意が出来ていない人は
当日でも間に合うようですよ(^^)/
こちら⇒まだ間に合う 父の日 Amazon

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Let's enjoy coffee life♪

2014年6月14日土曜日

【おいしいコーヒーのいれ方 ~豆選びの基本4~】

コーヒー豆の焙煎度




今回はコーヒーの味に深く関わる焙煎について
お話させていただきます。

自家焙煎とか香味焙煎とかコーヒーを飲む人たちは
耳にしたことがあると思います。

そもそも焙煎って何なんでしょうか?

一言でいうと、焙煎とは生のコーヒー豆を煎ること。
まぁ、焼くと言ってもいいと思います。

生のコーヒー豆は「生豆」(なままめ)と呼ばれ、
普段、僕たちが目にする黒い豆ではなく、緑色をしています。



この生豆を煎って加熱させることで、
生豆に含まれている成分が化学変化を起こして
あの黒色になり、香りや風味が生まれるんです。

そう、ケミカルです(-ロωロ-)✧


コーヒー豆の焙煎度の呼び方と分類

加熱の程度を表現したものが「焙煎度」と言われます。

焙煎度は大きく分けて3段階!!
浅煎り(あさいり)⇒中煎り(ちゅういり)⇒深煎り(ふかいり)

さらに日本では味の違いをより細かくするために8段階の分類
もよく使われています。
ライト⇒シナモン⇒ミディアム⇒ハイ⇒シティ⇒フルシティ⇒フレンチ⇒イタリアン


(画像出典:発明工房さん)


焙煎度から風味を知る

一般的にコーヒーの味は、焙煎が浅いほど酸味が強くなり、
焙煎が深いほど苦味が強調されます。

同じ豆であっても、どれくらい熱を加えられているかで
酸味と苦味のバランスが変わってくるんですね。

この傾向は多くの豆に共通しているので、
焙煎度は風味の印象を知るひとつの目安になるわけです。

しかぁ~し!!

生豆の種類によっては、風味の傾向が異なる場合もあります。
例えば、標高の高い産地で栽培されたアラビカ種という種類の豆は
深煎りでも酸味が残ったりします。

つまり、

焙煎度によって、大体の風味の傾向は共通しているけれど、
コーヒー豆によって個性がそれぞれ違うので、
風味にも個性がでるということです。

なんだか人の性格に似ていますね♪

ということは、

それぞれのコーヒー豆によって
個性が引き立つベストな焙煎度があるということになります。

これは自家焙煎をしているお店によって、
個性の捉え方や好き、嫌いで変わってきます。
料理みたいなものですね。
このパスタは辛みが強い方が良いとか、抑えたほうが良いとか
お店によって考え方は違いますよね。

なので、Aという豆は中煎りと深煎りの2種類、
Bという豆は中煎りのみの販売をするというように
豆の個性に合わせた独自の商品展開をしています。

お店による風味や味の違いを楽しんでみてください♪


☆アドバイス☆

1.焙煎された豆は劣化しやすいので注意しましょう。
  新鮮な状態は常温で2週間くらい。
  その間に飲みきれる量を買うことが美味しいコーヒーを飲むポイントです♪

2.豆の色ツヤや豆の形をチェックしましょう。
  焙煎が適正で良質な豆は色ツヤが均一で豆の形がふっくらとしています。
  逆に、色がまばらだったり、変な形の豆が混入しているものは、
  味にえぐみや嫌な苦みがでて美味しくありません。
  
  また、古い焙煎豆は豆の表面に油が出てテカっています。
  ただし、深煎りの豆は新鮮でもテカりが出るので覚えておくといいでしょう。


次回は「コーヒー豆を挽く」テーマについてお話していきたいと思います。
楽しみにしていてください(^^)/


Let's enjoy coffee life♪



6月14日「五輪旗制定記念日」の1杯

6月14日「五輪旗制定記念日」の1杯





今日のコーヒーはカフェオレ(^^)cU
五輪マークとコラボショットです♪

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今日は「五輪旗制定記念日」です♪

パリで開催されたオリンピック委員会で、
世界の5大陸がオリンピック精神の下に交わることを象徴する
『五輪旗』が制定された日です。

近代オリンピックの象徴でもある五輪のマーク(オリンピック・シンボル)は、
クーベルタン男爵が考案し深い意味が込められています。
・世界5大陸(ヨーロッパ・アジア・アフリカ・オセアニア・アメリカ)
・五つの自然現象(火・水・木の緑・土の黒・砂の黄色)
・スポーツの5大鉄則(情熱・水分・体力・技術・栄養)

5つの重なり合う輪は、平和への発展を願ったものでもあるようです。


(出典:http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/81b0cd89707aa873746f122f9ed7669b)

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Let's enjoy coffee life♪

2014年6月13日金曜日

お家カフェ ♪癒しのボサノヴァミュージック♪



はじめてのチュウにはじまり、30:47あたりでサザエさんが∑(°口°๑)❢❢

癒しとユーモアのあるオススメBGMです♪

6月13日「はやぶさの日」の1杯

6月13日「はやぶさの日」の1杯





今日のコーヒーはエルサルバドルをペーパードリップ(^^)cU
はやぶさをバックにカッコつけてみました!!

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今日は「はやぶさの日」です♪

宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究所がある
神奈川県相模原市が2012年に制定しました。

2010年のこの日、小惑星探査機「はやぶさ」が
小惑星「イトカワ」までの7年間の旅を終えて地球に帰還したんですね♪

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Let's enjoy coffee life♪

2014年6月12日木曜日

お家カフェ「はじめてのネルドリップ講座」~下準備~

お家カフェ「はじめてのネルドリップ講座」~下準備~



お家でちょっと渋くて本格派!?のネルドリップを使って
美味しいコーヒーを淹れてみましょう♪

買ってから直ぐにそのまま使うのではなく、
下準備をするのがポイント!!

めんどくさいと思わずに、
手のかかる憎いやつと思って可愛がってやってください(^^)/


さぁ、それではいきましょう!!


今回、紹介するのは

HARIO(ハリオ)社のネルフィルター(3~4人用)

1~2人用でも他社の製品でも下準備の方法は変わらないので、安心してくださいね。















こんな感じで、リングの部分とフィルターが別々になっています。

フィルターが古くなったら交換できる仕様です♪









取り付けは、とても簡単です。
フィルターのふちの穴にリングの先端を通して、
クルッと回転させるようにしてセットします。










こんな感じになります♪












さて、下準備です!!

鍋にお湯を沸かして、フィルターを入れます。

この時にちょっとだけ挽いたコーヒーの粉を入れます。
フィルターにコーヒーの成分を馴染ませるためです。





2~3分ほど煮沸させます。











その後、フィルターを水で洗って下準備は完了です。
そのまま直ぐに使うのであれば、堅く絞って⑥へ進んで行きます。




①~③の手順でリングにフィルターをセットしていきます。



【注意】表と裏があります!!
縫い目のひだが内側にくるようにセットしてください。
ケバケバしているほうが外側になります。










ペーパーフィルターで落とすよりも
少し粗めの挽き具合のコーヒー豆を使います。











お湯を注いでコーヒーを淹れましょう♪

ネルドリップの方法については、
また次回ご紹介しますね(^^)/















【今回紹介した商品はコチラ】

ウッドネックの使い心地がたまりません♪

交換用のフィルター3枚入りです


Let's enjoy coffee life♪