6月26日の1杯と1禅語『喫茶去』
~1杯のコーヒーを飲みながら、心が和む言葉をお楽しみください~
今日の1杯フォトcU
今日はロールケーキとカフェオレです(^^)♪
どちらかが欠けても得ることができない
特別な美味しさがここにあります。
今日の1禅語cU
------------------------------------------------------------『喫茶去』
~きっさこ~
趙州和尚は、新参の僧が来るといつも「ここに来たことはあるか」と問う。
これに、「はい、あります」「いいえ、はじめてです」
のいずれの応えに対しても、趙州は「喫茶去」とだけ言った。
あるとき、それを聞いていた寺の院主が
「和尚はなぜ、どちらの答えにも同じく『喫茶去』としか
おっしゃらないのですか」と尋ねると、趙州は院主に「喫茶去」と応えた。
この言葉は、
日本では「まぁ、お茶でも飲んでいらっしゃい」と訳されることが多い。
しかし、これは本当は
「喫茶しに行け」「茶を飲みに行け」という強い命令語であるらしい。
座禅はひとりでする修行だが、
茶を飲むことは、二人以上でする修行だ。
私たちは日々、少しずつ変化し続けている生き物で、
今この瞬間の「自分」と同じ自分には、もう二度と会えない。
ある人とある人がある瞬間に「会う」ということは、
もう二度とくり返されない、たった一度だけの機縁なのだ。
そんな特別な時空で、
ただ一度だけでもできる修行が「喫茶」なのだとすれば、
これほど緊張に満ちた、抜き差しならない「行」があるだろうか。
誰かと出会うときはいつも、
自分でも気づかなかった自分の一部を引っ張り出されてしまう。
未熟さや弱さに気づかされたり、
時には、長所を見つけたりもする。
自分のことが本当にわかるのは、「誰か」がそこにいるときだ。
「誰か」に出会っているその瞬間、
時別な光が自分を照らし出しているように思える。
(『禅語 zengo』本文より一部抜粋)
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今日の独り言cU
ひとりで飲むコーヒーとふたりで飲むコーヒーは
どこか違った味がするような気がします。
「喫茶去」の教えのように、
二度とは来ないその時を、その味を、しみじみ楽しむのも乙ですね♪
Let's enjoy coffee life♪
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