2014年6月26日木曜日

6月26日の1杯と1禅語『喫茶去』

6月26日の1杯と1禅語『喫茶去』

~1杯のコーヒーを飲みながら、心が和む言葉をお楽しみください~


今日の1杯フォトcU















今日はロールケーキとカフェオレです(^^)♪

どちらかが欠けても得ることができない

特別な美味しさがここにあります。

今日の1禅語cU

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『喫茶去』

~きっさこ~

趙州和尚は、新参の僧が来るといつも
「ここに来たことはあるか」と問う。

これに、「はい、あります」「いいえ、はじめてです」
のいずれの応えに対しても、趙州は「喫茶去」とだけ言った。

あるとき、それを聞いていた寺の院主が
「和尚はなぜ、どちらの答えにも同じく『喫茶去』としか
おっしゃらないのですか」と尋ねると、趙州は院主に「喫茶去」と応えた。


この言葉は、
日本では「まぁ、お茶でも飲んでいらっしゃい」と訳されることが多い。

しかし、これは本当は
「喫茶しに行け」「茶を飲みに行け」という強い命令語であるらしい。

座禅はひとりでする修行だが、
茶を飲むことは、二人以上でする修行だ。

私たちは日々、少しずつ変化し続けている生き物で、
今この瞬間の「自分」と同じ自分には、もう二度と会えない。

ある人とある人がある瞬間に「会う」ということは、
もう二度とくり返されない、たった一度だけの機縁なのだ。

そんな特別な時空で、
ただ一度だけでもできる修行が「喫茶」なのだとすれば、
これほど緊張に満ちた、抜き差しならない「行」があるだろうか。

誰かと出会うときはいつも、
自分でも気づかなかった自分の一部を引っ張り出されてしまう。

未熟さや弱さに気づかされたり、
時には、長所を見つけたりもする。

自分のことが本当にわかるのは、「誰か」がそこにいるときだ。

「誰か」に出会っているその瞬間、
時別な光が自分を照らし出しているように思える。


(『禅語 zengo』本文より一部抜粋)
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今日の独り言cU


ひとりで飲むコーヒーとふたりで飲むコーヒーは
どこか違った味がするような気がします。

「喫茶去」の教えのように、
二度とは来ないその時を、その味を、しみじみ楽しむのも乙ですね♪


Let's enjoy coffee life♪

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