2014年6月25日水曜日

6月25日の1杯と1禅語『無巧徳』

6月25日の1杯と1禅語『無巧徳』

~1杯のコーヒーを飲みながら、心が和む言葉をお楽しみください~


今日の1杯フォトcU





















こんばんは(^^)/
スペシャルティを調子に乗って毎日飲んでいましたが、
とうとう切らしてしまいました(´・ω・`)トホホ

しばらく、世界のネスレさんで勘弁してください!!
普通に美味いですけどね|ω・`)♪

今日の1禅語cU

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『無巧徳』

~むくどく~


梁の武帝は信心の篤い人で、多くの仏寺を建て、出家僧を増やした。

帝は、大聖達磨に「たくさんの供養をした私には
どれほどの功徳があるでしょうか」と尋ねた。

達磨はこれに対し、「功徳などない」と応えた。


「それをやったら何の得になるの?」ごく日常的な問いかけだ。

私たちは、報酬や成績を目標にする。

「それをやったら何か自分にとってうれしいことがある」
「それをすることで何かを手に入れることができる」と思えば、
私たちは納得して取り組む。

善行を積めば功徳がある、
つまり、天国へ行けたり、災難を避けることができたりする、
と、私たちは直観的に信じている。

うれしいことが未来にある、
だから、現在楽しくなくてもがまんする。

そういう理屈だ。

その一方で、人間は、遊ぶ。

たとえば、多くの人が、スポーツを楽しむ。
プロの選手以外は、何かほかのことを目的にしてやっているわけではない。

走っていること自体が楽しい、
ボールを蹴ってゲームをすること自体が楽しいのだ。

だから必死になってやるし、
上手くなるために少々の苦労を好んで引き受ける。

遊びの世界は、行為と同時に、報酬がある。

未来に何かいいことがあるのではなく、
今この瞬間が「いいこと」なのだ。

見返りを求めて何かをして時間は、
未来に喜びがあるけれど、現在には苦痛しかない。

そうではなく、
遊びのように「今この瞬間が楽しい」と感じられれば、
未来と引き替えに現在を犠牲にしたりしなくて済む。

苦労と報酬が、同じひとつの時間の中にぎゅっと詰まっている。

もしそういうふうに過ごせていたら、
「これだけ供養をした私にはどんな功徳があるでしょう」
なんて、聞きたくなったりしない。


(『禅語 zengo』本文より一部抜粋)
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今日の独り言cU


遊ぶように働いて暮らしていくことは
誰もが望んでいることではないでしょうか。

僕もその状態を目指していますし、近づきつつありますね(^^)♪

修行しているお店で働いているときには
忙しいときほど、ゲーム感覚で楽しんでいる自分がいたりします。

朝、コーヒーを淹れる時も、
ちょっと手間だし面倒だなぁなんて最初は思っていますが、
淹れている瞬間は無心で楽しんでいたりします。

そして、手間をかけたコーヒーを飲む幸せを感じているんですね(^^)

Let's enjoy coffee life♪

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