6月23日の1杯と1禅語『雲去山嶺露』
~1杯のコーヒーを飲みながら、心が和む言葉をお楽しみください~
今日の1杯フォトcU
おはようございます(^^)/
今日はいつもの食パンが可愛らしい子分を連れてきました!!
ちょっぴり愉快な朝食です(*´∇`*)♪
今日の1禅語cU
------------------------------------------------------------『雲去山嶺露』
~くもさってさんれいあらわる~
厚い雲が風に乗って去ると、雄大な山嶺が堂々とそこに現れる。
覆い隠しているものがあったとしても、
本来誰もが持っている仏性(ぶっしょう)はそこにあって、変わらない。
仏教では、誰もが生まれながらに仏性を持っている、とされる。
仏性とは、仏の本質であり、これによって立つとき、
人は苦しみから解放され、仏のように他者を救う存在になれる。
だが、人間は煩悩というものに支配されていて、
なかなか仏のように生きることができない。
貪欲や愛欲に苦しみ、老いて死ぬことが受け入れられず苦しみ、
自分の中から生まれる苦しみに苛まれ続けて生きている。
「傷ついた」という言い方がある。
「誇りを傷つける」「心が傷つく」「裏切られて傷つき、誰も信じられなくなった」
などのような言い方をする。
でも、本当にそんなふうに人を
「傷つける」ことができるのだろうか。
傷というのは、そのものの本来の形を変える、ということだ。
軽い傷は消えるが、消えない傷痕もある。
本来完全であった形を不完全なものに変え、
二度ともとに戻せなくするのが「傷」だ。
私たちが「傷」と呼ぶものの正体は、
山嶺を隠す雲のようなものではないか、
と私はしばしば、考える。
雲が山嶺を傷つけることが出来ないように、
悲しみや苦しみもまた、人の心や誇りを、
本当の意味で傷つけることはできないのではないだろうか。
悲しんでも、苦しんでも、
人の心の中にあるものはどっしりと大きく、ゆるぎない。
誰もが自分の中に、山のように動かし難いものを持っている。
雲に隠されているときでも、山は確かにそこにあるのだ。
(『禅語 zengo』本文より一部抜粋)
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今日の独り言cU
コーヒーにも、その種独自の揺ぎ無い個性や特徴があります。
ただ、コーヒーも人と同じように繊細で、
管理方法や焙煎の仕方、挽き方、淹れ方によって
本来持っている素晴らしい個性や特徴が生かされたり殺されたりします。
まずいコーヒーであったとしても、
それにはまずい雲(間違った管理方法や焙煎の仕方、挽き方、淹れ方)が
かかっていて本来もっている美味しさが見えなくなっているだけなんです。
コーヒー豆のためにも、正しい扱い方を心得ておきたいですね。
Let's enjoy coffee life♪
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