6月30日の1杯と1禅語『浄裸裸赤灑灑』
~1杯のコーヒーを飲みながら、心が和む言葉をお楽しみください~
今日の1杯フォトcU
おはようございます(^^)/
今日で6月も終わりですね!!
さすがの北海道も暑くなってきました、
そろそろアイスコーヒーを作り始めたいですね♪
今日の1禅語cU
------------------------------------------------------------『浄裸裸赤灑灑』
~じょうらら しゃくしゃしゃ~
きれいさっぱり、洗い流したように何もない、の意。
禅では「放下」ということを説く。
心にゴチャゴチャと持っているものをすべて放り出して、
手放してしまえ、ということだ。
そうすれば、清々として本来の心のままに生きられる、と説く。
しかし、そんな境地に到るのは大変難しい。
どうしても、私たちには「大切なもの」がある。
愛着し、執着し、不足を感じたり喪失したりすると、
嘆き続けてしまう。
心にかたく握りしめて手放さない。
心理学者のフロムは、
人は自他を「いかにたくさん持っているか(have)」で評価しようとするが、
本当に重要なのは「どうあるか(be)」なのだ、と言った。
才能や美貌、肩書きや財産、愛や賞賛など、
人は自分が持っているもので自分を量り、充足しようとする。
自分よりそれらをたくさん持っている人を見て羨み、
自分は不足しているといって苦しむ。
でも、大切なのは、
そんな「持っているもの」をすべて捨てたときに、
剥身の人間としてどうあるか、ということなのだろう。
この「浄裸裸赤灑灑」という言葉は、
その様をあかあかと表現している。
すべて余計なものを洗い流してしまったとき、そこにあるもの。
誰かと接するときは常にそれに触れたいと願うし、
自分もまた、その姿でこの世と関われるのでなければ、
生きていることはいかにも空疎だ。
(『禅語 zengo』本文より一部抜粋)
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今日の独り言cU
僕もよく、自分の至らなさに苦しむことがあります。
それは理想としている自分とのギャップに苦しめられているだけ。
コーヒーを飲んでいるときは、
そんな苦しみから解放されているような気がします。
何も考えず、ただコーヒーを楽しむ。
それはたぶん、幸せな時間なんでしょうね。
そして常にそうありたいと思うのです。
Let's enjoy coffee life♪
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