2014年6月30日月曜日

6月30日の1杯と1禅語『浄裸裸赤灑灑』

6月30日の1杯と1禅語『浄裸裸赤灑灑』

~1杯のコーヒーを飲みながら、心が和む言葉をお楽しみください~


今日の1杯フォトcU














おはようございます(^^)/

今日で6月も終わりですね!!
さすがの北海道も暑くなってきました、
そろそろアイスコーヒーを作り始めたいですね♪

今日の1禅語cU

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『浄裸裸赤灑灑』

~じょうらら しゃくしゃしゃ~


きれいさっぱり、洗い流したように何もない、の意。


禅では「放下」ということを説く。

心にゴチャゴチャと持っているものをすべて放り出して、
手放してしまえ、ということだ。

そうすれば、清々として本来の心のままに生きられる、と説く。

しかし、そんな境地に到るのは大変難しい。
どうしても、私たちには「大切なもの」がある。

愛着し、執着し、不足を感じたり喪失したりすると、
嘆き続けてしまう。
心にかたく握りしめて手放さない。

心理学者のフロムは、
人は自他を「いかにたくさん持っているか(have)」で評価しようとするが、
本当に重要なのは「どうあるか(be)」なのだ、と言った。

才能や美貌、肩書きや財産、愛や賞賛など、
人は自分が持っているもので自分を量り、充足しようとする。

自分よりそれらをたくさん持っている人を見て羨み、
自分は不足しているといって苦しむ。

でも、大切なのは、
そんな「持っているもの」をすべて捨てたときに、
剥身の人間としてどうあるか、ということなのだろう。

この「浄裸裸赤灑灑」という言葉は、
その様をあかあかと表現している。

すべて余計なものを洗い流してしまったとき、そこにあるもの。

誰かと接するときは常にそれに触れたいと願うし、
自分もまた、その姿でこの世と関われるのでなければ、
生きていることはいかにも空疎だ。


(『禅語 zengo』本文より一部抜粋)
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今日の独り言cU


僕もよく、自分の至らなさに苦しむことがあります。
それは理想としている自分とのギャップに苦しめられているだけ。

コーヒーを飲んでいるときは、
そんな苦しみから解放されているような気がします。

何も考えず、ただコーヒーを楽しむ。
それはたぶん、幸せな時間なんでしょうね。

そして常にそうありたいと思うのです。

Let's enjoy coffee life♪

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